記事公開日:2018.11.28最終更新日:2019.9.11

マリンアクアリストだった中国最後の皇帝・溥儀

 

こんにちは。神奈川・横浜の海水水槽専門レンタル・メンテナンスのマリブのウブカタです。

 

中国最後の皇帝・愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)は熱心なアクアリストだったのです!

 

ウブカタ
1906年~1967年まで生きた中国最後の皇帝です。それでは彼のアクアリウム好きを紹介します!

アクアリストだった中国最後の皇帝・溥儀

中国最後の皇帝・愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)って?

1908年に2歳で清朝第12代の最後の皇帝「宣統帝」として即位したが、辛亥革命により12年に退位。
31年の満州事変勃発(ぼっぱつ)を受け、32年に建国を宣言した「満州国」の執政に。34年には同国の皇帝になる。
日本の敗戦とともに満州国は崩壊し、旧ソ連軍によって抑留された。
46年には東京裁判に出廷。
50年、中国の撫順戦犯管理所に移送され、59年に特赦で釈放された。
67年、病没。

 

ウブカタ
中国最後の皇帝でいいのではないでしょうか。

 

溥儀の生涯年表

  • 1906年:醇親王載灃の子として北京に生まれる
  • 1908年:第12代清朝皇帝(宣統帝)に即位
  • 1912年:辛亥革命により退位
  • 1917年:張勲復辟により清朝皇帝に復位するも、10日あまりで再び退位
  • 1919年:イギリス人のレジナルド・ジョンストンを帝師として招聘
  • 1922年:正妻の婉容、側室の文繍と結婚
  • 1924年:クーデターにより紫禁城から退去。ジョンストンが帝師を退任
  • 1925年:イギリスやオランダ公使館へ庇護を要請するものの拒否され、天津日本租界内張園に移転
  • 1931年:文繍と離婚。満洲事変勃発後、大日本帝国陸軍からの満洲国元首への就任要請を受諾し、日本軍の手引きで天津を脱出、満洲へ移る
  • 1932年:満洲国の建国に伴い満洲国執政に就任
  • 1934年:満洲国皇帝(康徳帝)に即位
  • 1935年:初の外国訪問として日本を公式訪問
  • 1937年:譚玉齢を側室とする
  • 1940年:日本を再び公式訪問、最後の公式外国訪問となる
  • 1942年:側室の譚玉齢が死去
  • 1943年:李玉琴を側室とする
  • 1945年:満洲国の崩壊に伴い皇帝を退位し、その後日本への亡命途中に、侵攻してきたソ連軍の捕虜になる
  • 1946年:極東国際軍事裁判にソ連の証人として出廷する、正妻の婉容死去
  • 1950年:中華人民共和国に身柄を移され撫順戦犯管理所に収容される
  • 1959年:模範囚として釈放される。
  • 1960年:政協第4期文史研究委員会専門委員に就任
  • 1962年:李淑賢と再婚
  • 1964年:政協全国委員に選出される
  • 1967年:北京で死去

 

ウブカタ
本当に映画のような人生だったんですね。

 

溥儀を多くの人が知ったキッカケは1988年映画公開・『ラストエンペラー』

 

1988年に公開された映画ラストエンペラーは、中国最後の皇帝の数奇な障害を描き、大ヒット作品となりました。

 

ここで溥儀を知った方も多いのではないでしょうか。

 

ウブカタ
僕が2歳の頃です(笑)

 

溥儀は熱心なアクアリストだった!

彼が熱帯魚飼育のマニアだったことはあまり知られていません。

 

熱帯魚の飼育に情熱を注ぐようになったのは、満州国が設立され、日本政府の傀儡皇帝(かいらいこうてい)として迎えられた以降のことでありました。

 

ほぼ同時期に首都の新京(しんきょう)では熱帯魚の飼育ブームが起こっていました。

 

『政治向きの事には極力関心を持たぬように』という関東軍の方針を背景に憂鬱で単調な生活を送っていた彼にとっては、熱帯魚飼育が非常に大きな刺激になったようです。

 

一時期は宮殿内(きゅうでんない)にある洗面室に1メートル以上もある水槽を10個も並べていたといいます。

 

1メートル超えの水槽を10個!?!?!?

 

お金有り余ってんのかい(笑)?当時いくらよ???オーコワッ

 

どっぷりアクアリウムにハマった初期傾向ですね。(僕は最多自宅で7個保持)

 

飼育の対象は当初は主に淡水魚でした。

 

※後に海水になりますからお楽しみに♪

 

グッピーの飼育を楽しみ、日本人飼育アドバイザーの柴田清に延々自慢話をしたといいます。

 

この柴田清氏の情報がない!

 

メッチャ知りてぇ~!!!

 

※調べて見つかったらUPしますね!(2019年現在、見つかっていません)

 

そして海水魚にも興味津津!

ある日のこと、柴田がクマノミをプレゼントしたことがありました。

 

クマノミ(どのクマノミかは不明なので本家・クマノミを載せます)

 

※いつも言ってますが、映画で知名度は世界に知れ渡りましたがすでにクマノミは海水シーンでは人気はあったんです。

 

すると葬儀は大変喜びそのクマノミが死ぬまでの約5日間毎日飽きずに眺め続けていたといいます。

 

このクマノミの一件で、溥儀はすっかり海水魚の魅力にとりつかれてしまうことになります。

 

ウブカタ
カモーン!!!ウェルカム!!!

 

様々な文献を調べては知識を蓄えていき、やがて彼の興味はタツノオトシゴに絞られます。

 

タツノオトシゴ

 

ウブカタ
渋ッッッ!いいね!!!

 

そして柴田に懇願(こんがん)したのでありました。

 

『どうしてもタツノオトシゴが飼育したい』

 

しかし柴田はこの申し出を断ります。

 

クマノミのような丈夫な魚でさえ、数時間しか生きられないのにはるかに繊細なタツノオトシゴの飼育など論外だと。

 

ウブカタ
まぁ、僕でもそう言うかな。。。

 

首都・新京に運ぶことさえ無意味なことではないか、と言ったのです。

 

結局、柴田は溥儀の提案を受け入れることになるのですが、相当に落ちこんだ様子が続きました。

 

察してください。

 

飼育がうまくいかなかったんです。

 

あれほど熱心だった魚の飼育から遠ざかっていったといいます。

 

 はーい。海水魚あるあるですねー。

 

どの時代も変わりませんね~。う~ん。。。

 

僕としては悲しい気持ちです。

まとめ

中国最後の皇帝・愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)は熱心なアクアリストだった!

 

ウブカタ
溥儀には正直親近感が芽生えます。しかし、理由が毎日のように聞く内容だとなぁ。。。時代的にもしょうがないんですがね。う~ん。。。

 

 

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