
こんにちは。神奈川・横浜の海水水槽専門レンタル・メンテナンスのマリブのウブカタです。
コロンブスが新大陸・アメリカに名前を刻めなかった理由
コロンブスが新大陸・アメリカに名前を刻めなかった理由
コロンブスの思い違いにより名を刻めなかった!
歴史の教科書に必ず登場するChristopher Columbus(クリストファー・コロンブス)は、1492年にアメリカ大陸を発見しました。
しかし、新大陸にコロンブスの名前はついていません。
アメリカという名は、1497年~1503年に4回の中南米探検を行った探検家のアメリゴ・ヴェスプッチにちなんだものです。
アメリカはアメリゴのラテン語です。
なぜ、新大陸の名前に発見者のコロンブスの名前が刻まれず、その後に冒険した探検家アメリゴの名前が付けられてしまったのか。
それは・・・コロンブスの思い違いにあります。
そもそもコロンブスの探検の目的は新大陸の発見ではなく、アジア大陸、特に黄金の国ジパング(日本)を探すためでした。
当時の地球儀や世界地図は、アフリカの南端は途切れ、またヨーロッパの西方は空想上の世界でした。
ヨーロッパより西はまだ見る領域があり、そこに黄金の国ジパング(日本)が存在すると考えられていました。
そこに後のアメリカ大陸と呼ばれる新大陸があるとは想像もしていなかったのです。
つまり、とにかく西に行けば、いずれアジアにたどり着き、目的のジパングにたどり着くはずだと考えられていたわけです。
コロンブスがジパングを目指したのは1492年8月3日のこと
3隻による船団で、西向きの風に乗って西へ西へと進みました。
そんな状況の中、10月12日、コロンブス一団はカリブ島バハマ諸島のグァナハニ島に到着しました。
コロンブスは最初、ジパングかと思ったようですが、中国大陸の1部だと考え直し、ジパングを探すためにさらに西に進路を取りました。
11月5日には、ヒスパニオラ(エスパニョーラ)島に到着しました。
この島の奥地に金が産出することを知ったコロンブスは、「こここそがジパングだ!」と推測しました。
その後ジパングの確証を得るため、三度にわたって探検し、1506年に亡くなる最期まで彼はアジアを航海したと信じていたといいます。
この思い違いが、新大陸に自分の名をつけるチャンスを遠ざけてしまうことになります。
コロンブスの航海の後に探検したアメリゴ・ヴェスプッチが「ここはまぎれもなく新大陸だ」と公表しました。
その後、1507年にドイツ人のマルチン・ヴァルトゼーミュラーが地図化する際、コロンブスではなくて、アメリゴの名にちなんでアメリカと命名したのです。
まとめ
コロンブスはそれでそれでよかったんじゃないかと思ってるんじゃないかなと僕は思います。
十分、ロマンのある人生を送りましたもの。
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