記事公開日:2018.1.31最終更新日:2020.9.7

日本の海洋生物学研究のはじまりは【エドワード・シルベスター・モース】という天才によって築かれた!

 

 

こんにちは。神奈川・横浜の海水水槽専門レンタル・メンテナンスのマリブのウブカタです。

 

日本の海洋生物学の生みの親の存在をご存知でしょうか?

 

彼がいなければ、日本の海洋学は進んでいなかったかもしれないほどの偉人です。

 

その人物はエドワード・シルベスター・モース

 

もしかしたら、[大森貝塚]を思い出す人もいるかもしれません。

 

大森貝塚とは・・・

1877年、米国人の動物学者E.モースによって発掘調査された、東京都大田・品川区内の鉄道沿線の縄文時代遺跡。日本初の科学的な発掘調査による研究として意義深い。

 

実は彼は考古学者ではありません。

 

生物学者なのです。

 

日本には海洋大学も海洋研究者もいます。

 

ウブカタ
その始まりの人物にスポットライトを当ててみましょう。

日本の海洋生物学研究の生みの親”エドワード・シルベスター・モース”

日本の海洋生物学の生みの親

明治になって鎖国を解いた日本には、外国の研究者がたくさんやってきました。

 

我が神奈川県にある江の島付近は生物の宝庫で、ここを訪ねた生物研究者が日本の珍しい魚などを外国にも紹介しています。

 

このことを知った39歳のモースは、シャミセンガイの研究をするため1877年に日本に来ました。

 

そして、横浜から東京へ向かう汽車の窓から貝塚を発見して発表したのです。

 

それが日本初の貝塚の発見と発掘になりました。

 

モースはずでにアメリカでは話題の人物でダーウィンの進化論をさまざまな場所で、さまざまな人たちに紹介します。

 

その後、モースは東京帝国大学(現・東京大学)の初代の動物学教室の教授になりました。

 

江の島の漁師の小屋を借りて研究室にし、漁師を雇い相模湾の生物を採集し、研究室でそれらを記録しました。

 

東京から人力車でやってきたモースは、江の島に今もある旅館・岩本楼(いわもとろう)に泊って、研究を続けました。

 

そして、江の島に臨海実験所を設立し、多くの日本人海洋生物学者を育てました。

 

この江の島臨海実験所は、三浦の油壺に移され、東京大学臨海研究所として、現在に至っています。

 

モースは相模湾にたいへん珍しい生物がたくさん棲息しているということを初めて明らかにした人物です。

 

その研究は日本の研究者や昭和天皇にも引き継がれています。

まとめ

ただただ尊敬しています。

 

彼がいなければ日本の海洋学は進歩しなかったほどの天才であり偉人です。

 

海水水槽という限られたスペースで生き物を飼育するということは、海を知らないとうまくいきません。

 

だから、海水水槽にお悩みの方は、海のメカニズムや生き物がどんな環境で普段暮らしているかを知る必要があります。

 

僕も毎日勉強していますが、この勉強に終わる日は絶対に来ません。

 

それでも、基礎は誰でも学べます。

 

エドワード・シルベスター・モース博士・・・尊敬しています。

 

高校の授業で初めて知った偉人です。

 

ウブカタ
博士からアクアリウムや海洋生物を教えてほしかった・・・

 

 

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